まさか自分が鬱になるとは、、、No.0鬱との出会い

あ、これ仕事に行けないや。

 

そう思ったのは今年の4月30日でした。

その日は子供達との遠足。本来であれば楽しいはず、、、、なのに。

 

私はオペラ歌手を目指している23歳の男 OTU です。絶賛彼女募集中!

このブログは私が鬱になって感じたこと、嬉しかったことや嫌だったこと、

そして鬱から抜け出すまでの過程を残したいと思い、書いています。

鬱になった人のしょうもない日記だと思って読んでいただけたら幸いです。

 

鬱との出会いを書く前に、少々私のお話をしようかと思います。

私は小さい頃から音楽が好きでした。

特に好きだったのは歌とトランペットでした。

この好きな音楽を仕事にできたらいいなと思っていましたが、そこまで現実は甘くないと思い、収入が安定した音楽の教員を目指すようになりました。

 

一昨年、コロナが流行り出しているなか、私は教育大学を卒業しました。

その大学で出会った特別支援教育に興味を持ち、特別支援学校に講師として赴任しました。

去年一年間、赴任した学校でとても充実した日々を過ごすことができ、自分の歌の活動も少ないながらできていたと思います。

 

この時、自分が鬱になるなんて考えもしませんでした。

 

 

鬱との出会いのきっかけは今年の3月のことでした。

教員採用試験を落ちた私は講師としての採用枠を待っていましたが、「特別支援学校には空きはない、小学校に行く気はないかい?」とその時の校長先生に言われました。

ですが私は小学生が苦手でした。

何が嫌なの?と聞かれたら上手く答えることはできません。がなんだか嫌なのです。

 

そのため私は、小学校の教員免許を取りませんでした。

そんなことを言っても、せっかく頂いたチャンス。

私は、食わず嫌いはいかんなと思い、小学校の仕事を引き受けることにしました。

 

そして4月。私は特別支援クラスの知的組を担任することとなりました。

個性豊かなクラスで毎日が賑やかに過ぎて行きました。

 

 

そんな時、チラチラと鬱が顔を覗かせてきました。

 

朝ご飯の量は減っていき、通勤の車の中では肩で息をし、学校にいても脳みそにモヤがかかった状態でした。

 

そして4月30日。

私は、通勤途中とてつもない嫌な感覚に襲われ、

気がつけばコンビニに車をとめ教頭先生に電話をかけていました。

「先生すみません、熱があるのでお休みをいただけないでしょうか?」

熱なんてないのに。ズル休みだ。

と思うのと同時に。

(あの辛い場所に行かなくていい)

そう思ったのです。

 

なんて情けない。申し訳ない。

今まで感じたことのない罪悪感が押し寄せ、私の目からはぼろぼろと涙が。

母に電話で「ごめん、学校に行けんかった」という時も泣いていたと思います。

 

これは変だと思い、初めて心療内科へ。

病名は言われなかったですが、たくさんはなしを聞いて頂き、その症状を緩和するには職場と話し合い、悩みの種を解決していくしかないと助言をいただきました。

 

病名は言われていないので、もしかしたら鬱病ではないかもしれません。

ですが、体が危険信号を出していたのは確かです。

私はこの危険信号に従い、休んだことをとても誇りに思います。

そうでなければ今頃、自ら命を絶っていたかもしれません。

 

なぜ鬱になったか、どう改善したか(まだその渦中なのでうまくいくかは分かりませんが)

など、次回から詳しく書いていこうかなと思います。

 

拙い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。