まさか自分が鬱になるとは、、、No.2罪悪感

こんにちは!

昨日退職する旨を伝えてきたOTUです。

学校の校長先生が理解ある人でとても良かったです。

これからどうしていくか、あらかたは決まっていますが、

自分自身とても不安ですね、、、、

 

ですが、このブログを1年後、5年後、10年後の自分が見て、

そんなこともあったなと思えるように、

今を生きていこうと思います。

 

そして、今回書いていながら思ったことですが、

 

めっちゃ重くなったな!

 

ということです笑

この文章を読む際は気をつけてくださいね〜

普通に、◯にたいとか書いているので、、、、

これ垢BANとかされないですかね??

されたらされたで書き直します〜

 

 

さて、4月30日にいけなくなり、彼女と別れた後、OTUはどうなったかというと、

自分が生きていくイメージが持てなくなっていました。

その時に感じたこと、起こした行動、そして救われた一つの言葉を振り返っていきたいと思います。

 

 

前回、彼女との別れはあっさりとしたものだ!

と書いたと思いますが、それでも彼女という存在は大きく、

今振り返ってみると心に大きな穴が空いていたのだと思います。

 

ゴールデンウィークが明ける前の4日の夜に別れ話をしたのですが(今履歴を見て再確認)、

その日の朝、学校へ行き出席簿や指導案(授業の流れを可視化したものです)を書きにいこうとしました。ですが行けませんでした。

 

その時も学校に行くのがとても苦痛でした。

生徒がいない学校ですらしんどかったのです。

 

吐き気がし、これ無理だなと思ってしまいコンビニに車を置き、教頭先生に電話をかけました。

 

「学校へ行くのがしんどい」

心療内科にも行きました」

「退職も考えています」

 

そんな感じのことを伝えたことは覚えています。

 

教頭先生は親身になって話を聞いてくださり、私のことを否定せず受け入れてくださいました。

 

そのあとは、適当に車を走らせました。

家に帰ったら確実に病む。

知らないところへ行き気分を紛らわそう。

そう思いました。

 

そして何を思い立ったか行ったことのない心霊スポットへ行こうと思い、

スマホのナビ機能で心霊スポットを目的地とし、車を走らせました。

 

もともと怖い話や心霊スポットに行く動画やYouTubeを見るのは好きでした。

(ゾゾゾというYoutuberがとても好きです)

しかし、自分で行ったことはなく、行くのは初めてでした。

 

その時の私の心情は

 

呪われて死ぬなら別にいいかな、、、

 

 

みたいな変な考えでした。

 

うつ病は昔、悪魔憑きと言われていたそうです。

うつ病の人は悪魔に憑かれたように、前の人格からは想像できないような行動をしていたそうです。

YouTubeで見たので信憑性はわかりませんが

確かにいつもの自分であれば考えることのないことを考えていました。

 

 

死にたいと思ったこと、消えたいって思ったことは

今まで一回もありません。

 

今でも思うことはありますが、今は自分自身で沈めることができると思います。

ただ、あの頃の私はいつ自殺してもおかしくなかったのではないかと思います。

 

 

心霊スポットに行った後、校長先生から電話がありお会いする事になりました。

 

そこでおいしいランチをご馳走して頂き、校長先生も同じような体験をしたこと、

私の気持ちもわかるとおっしゃってくださった事、たくさん話しました。

たくさん話すことってとても大切だなと思いました。

自分の中に溜まって毒を吐き出すというか、少し重荷が取れるそんな感じです。

 

少し気持ちは楽になりました。

ただこの後、私は今までで一番の罪悪感を感じる事になりました。

 

その週の土曜日、校長先生と教務主任の先生(教頭先生の次に偉い人)とランチに行きました。日頃私が行かないようなおしゃれな店に案内して頂き、とても楽しい時間を過ごすことができなました。

とても楽しい時間で、私はこれなら学校に戻れるだろう。

そう本気で思っていました。

そして「月曜日から行きます!」というふうに言ってしまいました。

 

私は鬱から復職するタイミングはとても難しいことは全然知らず、

しっかり休めたし(本当に休めていたのか怪しいです)大丈夫だろうと自分で判断してしまいました。

しかし自分が思っていた以上に現実は甘くありませんでした。

 

日曜日の夜、いわゆるサザエさん現象が起こり、全然眠ることができませんでした。

そして月曜日の朝、

 

いつも以上に靄がかかり、その日の朝の記憶は玄関で靴を履いているシーンだけです。

何も言わずに玄関の扉を開けるシーンしか思い出せません。

 

そしていつも左に曲がる通勤路を右に曲がり、またテキトーに車を走らせていました。

 

 

あぁ、自分はまた学校へ行けなかったんだ

 

 

死にたい、死にたい、死にたい、、、、、

消えたい、消えたい、消えたい、、、、、

 

 

なんでみんな同じように会社に行けて

自分だけはいけないんだろう。

あぁ、きっと自分が悪いんだ。

自分がダメなんだ。

自分なんて、、、、、自分なんて、、、、、、、、、

 

たくさんの思考が巡りました。

その中に自分を肯定する言葉なんて一つもありませんでした。

 

こんな自分、家族が受け入れてくれるわけがない。

そういう思いもあり、私は家に帰れず、

また車をテキトーに走らせていました。

 

 

そんな時に助けてくださったのは母方の祖母。

いつもならかけてこない電話をしつこくかけてくれました。

いつもならすぐ取ったでしょう。

ただ悪魔憑きの私は、

「しつこい、

 いつもかけてこんくせに、

 どうせなんでいけんかったとか聞くんやろ」

と思いしばらく取りませんでした。

 

ただしつこくかけてくるもんだから私の方が折れて、電話をしました。

 

 

「今どこにおるんな」

 

どこかわからん

 

「もうそんなに行くんが嫌やったら、行くのおやめ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はっと思うと同時に

私はボロボロ涙をこぼしていました。

 

やめていいんだ。

やめていいんだ。

 

生きてていいんだ。

 

祖母の言葉には棘はあったものの、あの時の自分に一番必要な言葉を言ってくれたように思います。祖母は一緒に住んでいないので直接感謝を言えないのが辛いですが、コロナが終わって自分のしっかり治ったら感謝を言おうと思っています。

 

 

そのあと、校長先生とお話し、一週間お休みをいただいて、

今後どうするか考える事にしました。

 

この一週間でだいぶ回復したかなと思います。

と思っていても回復していないんだと思いますが笑

私がしたことを次回、綴ろうかなと思います。

 

重たい内容を最後まで読んでくださりありがとうございました。

まさか自分が鬱になるとは、、、No.1 彼女

どうも!

オペラ歌手を目指しているOTUです!

今、絶賛彼女募集中ですが、実はゴールデンウィークまで彼女がいたんですよ!

 そう。ゴールデンウィークに別れたんです。鬱になった後に!!

まぁ、運命のいたずらなのでしょうか。

悪いことって立て続けに起こりますよね〜

 

今回はそのお話をしようかな〜と思います。

 

 

5月1日 鬱と出会った次の日です。

彼女との初めてのお泊まりデートでした!

私はドキドキ!ワクワク!鬱なんか忘れてスキップで彼女を迎えに行きました。

 

彼女とはマッチングアプリで出会い、去年の2月から付き合い始めました。

お互い恋愛経験が少なく、何をするにも新鮮で、彼女といる時間はとても幸せな時間でした。

ただ、住んでいるところが少し遠く、半分遠距離恋愛(車で1時間弱)みたいになっていましたことが難点でした。

 

 

デート1日目は彼女が仕事があり、私が車で迎えに行ってホテルでゆっくりする作戦でした。

彼女の好きな呪術廻戦をいっしょに見て、ゆっくり寝ることができました。

彼女がプリンセスウィーク(生理)だったので、夜の営みができないのが辛いところでしたが、、、、、

 

デート2日目は神社と水族館に行く予定でしたが、彼女のプリンセスウィークを考慮し、

神社へ行くプランをなくして水族館だけ行く事にしました。

水族館デートは風が強く、少し彼女にとってはしんどかったかな?

ですが彼女はクラゲが好きみたいで、クラゲのところで少し止まってゆっくり見る姿はとっても可愛かったですね〜

その日は魚を見たからかお寿司を食べたくなり、お寿司を食べて解散になりました。

 

別れ話をしたのはその二日後。

彼女も悩んだのでしょう。

別れた理由が、、、、

 

・・・  い   び   き ・・・

 

えっ、、、、、、

 

えええええええええええええええええええええええ??????!!!!!

 

なんか、悪いことをしたり、嫌なことをしたんだったら改善しますけど。

いびきかぁ〜

そんなすぐに治らんやろうし(自分は結構悩んできたので、、、、)

 

ならしゃあないか、、、、

 

と、こんな感じで別れました。

 

 

皆さんは彼女との別れ話が鬱を促進したのかと思ったかと思いますが、

私は全然そんなことはなかったです(笑)

札幌塩ラーメンくらいあっさりしていました

 

 ただ、気持ちの支えがなくなったというのはとても苦しい状況かなと思います。

まぁ彼女が鬱を理解してくれていれば支えになりますが、理解してくれていないとよりしんどいですからね。

 

ここから私の鬱は最高潮になります。

 

ではまた!

まさか自分が鬱になるとは、、、No.0鬱との出会い

あ、これ仕事に行けないや。

 

そう思ったのは今年の4月30日でした。

その日は子供達との遠足。本来であれば楽しいはず、、、、なのに。

 

私はオペラ歌手を目指している23歳の男 OTU です。絶賛彼女募集中!

このブログは私が鬱になって感じたこと、嬉しかったことや嫌だったこと、

そして鬱から抜け出すまでの過程を残したいと思い、書いています。

鬱になった人のしょうもない日記だと思って読んでいただけたら幸いです。

 

鬱との出会いを書く前に、少々私のお話をしようかと思います。

私は小さい頃から音楽が好きでした。

特に好きだったのは歌とトランペットでした。

この好きな音楽を仕事にできたらいいなと思っていましたが、そこまで現実は甘くないと思い、収入が安定した音楽の教員を目指すようになりました。

 

一昨年、コロナが流行り出しているなか、私は教育大学を卒業しました。

その大学で出会った特別支援教育に興味を持ち、特別支援学校に講師として赴任しました。

去年一年間、赴任した学校でとても充実した日々を過ごすことができ、自分の歌の活動も少ないながらできていたと思います。

 

この時、自分が鬱になるなんて考えもしませんでした。

 

 

鬱との出会いのきっかけは今年の3月のことでした。

教員採用試験を落ちた私は講師としての採用枠を待っていましたが、「特別支援学校には空きはない、小学校に行く気はないかい?」とその時の校長先生に言われました。

ですが私は小学生が苦手でした。

何が嫌なの?と聞かれたら上手く答えることはできません。がなんだか嫌なのです。

 

そのため私は、小学校の教員免許を取りませんでした。

そんなことを言っても、せっかく頂いたチャンス。

私は、食わず嫌いはいかんなと思い、小学校の仕事を引き受けることにしました。

 

そして4月。私は特別支援クラスの知的組を担任することとなりました。

個性豊かなクラスで毎日が賑やかに過ぎて行きました。

 

 

そんな時、チラチラと鬱が顔を覗かせてきました。

 

朝ご飯の量は減っていき、通勤の車の中では肩で息をし、学校にいても脳みそにモヤがかかった状態でした。

 

そして4月30日。

私は、通勤途中とてつもない嫌な感覚に襲われ、

気がつけばコンビニに車をとめ教頭先生に電話をかけていました。

「先生すみません、熱があるのでお休みをいただけないでしょうか?」

熱なんてないのに。ズル休みだ。

と思うのと同時に。

(あの辛い場所に行かなくていい)

そう思ったのです。

 

なんて情けない。申し訳ない。

今まで感じたことのない罪悪感が押し寄せ、私の目からはぼろぼろと涙が。

母に電話で「ごめん、学校に行けんかった」という時も泣いていたと思います。

 

これは変だと思い、初めて心療内科へ。

病名は言われなかったですが、たくさんはなしを聞いて頂き、その症状を緩和するには職場と話し合い、悩みの種を解決していくしかないと助言をいただきました。

 

病名は言われていないので、もしかしたら鬱病ではないかもしれません。

ですが、体が危険信号を出していたのは確かです。

私はこの危険信号に従い、休んだことをとても誇りに思います。

そうでなければ今頃、自ら命を絶っていたかもしれません。

 

なぜ鬱になったか、どう改善したか(まだその渦中なのでうまくいくかは分かりませんが)

など、次回から詳しく書いていこうかなと思います。

 

拙い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。